
「〇〇さんって顔が小さいですよね」
「いえいえ、そんなことないですよ~///」
こんな会話を皆さんも日常の中でよく聞きますよね。
ただ、「顔が小さい」という言葉を誉め言葉として認識しているのは世界でも日本だけらしく、仮に海外で相手に対して「顔が小さいですね」と言うと、大抵の場合「?」と相手は返事に困るそうです。
場合によっては身体的な特徴に基づく差別と捉えられかねないので注意したいところですね。
さて、日本と海外で言葉に対する認識が違うということを書きましたが、これはそれぞれの国の法律や文化、慣習についても同じことが言えます。
最近話題になっている「動物愛護法」の分野においても各国の姿勢は異なります。
「海外に比べて日本の規制は遅れている」とよく言われますが実際のところどうなのでしょうか。
今回は動物愛護に関して、海外と日本の意識の違いについて見ていこうと思います。
海外の情報を知ることで、当記事がより深く自国のことを考えるきっかけとなれば幸いです。
目次
動物愛護法|これは見習いたい

動物愛護法が扱う領域としては、ペットや動物実験、水族館が挙げられます。
ここでは、動物愛護が必要となる分野毎に海外ではどのような規制が敷かれているのか見ていきたいと思います。
ペットビジネス ~資本主義経済の犠牲~
犬や猫が劣悪な環境で飼育され、売れ残った場合には殺処分されるということでしばしば話題に上がるペットビジネスですが、一部の国では本気で取り組もうとしているようです。
「動物の尊厳」が憲法レベルで保障されているスイスが良い例ですね。
憲法に違反する法律はどんなものであっても無効です。
そのため、スイスでは「動物の尊厳」を損なう可能性がある法律は全て無効と見なされます。
日本の動物愛護法は繁殖業者になるための要件や動物の飼育要件について具体的に定めていないため、悲惨な現実がまかり通っていると言えます。
憲法に「動物の尊厳」が定められていれば、こういった日本の法律は全て効力を持たなくなります。

「動物の尊厳」を無視した法律は無効だと書きましたが、スイスにはどのような法律が用意されているのでしょうか。
犬に関して言うと、スイス内の全ての犬にはマイクロチップが埋め込まれており、誰がどの犬を誰に対して販売したのか分かるようになっているようです。
これにより、犬の飼い主が「動物の尊厳」を侵害しないようにしていると言えます。
また、社会性があるとされるウサギやモルモットなどに関しては、「2頭以上で飼わなければならない」と法律で明記されています。
卵産業 ~女尊男卑~
普段はあまり考えないかもしれませんが、皆さんは「卵」がどのようにして生産されるか知っていますか。
「メスの鶏が産んでくれる」
その通りです。では、オスの鶏は何をしているのでしょうか。
残念ながら、採卵業においてオスの鶏は必要ないので、孵化後オスの雛はすぐに処分されメスの鶏だけが飼育されます。
雛の処分方法については、色々あるのですが日本では窒息死と圧死が一般的な方法とされています。
他にもシュレッダーやガス殺などがあるのですが、窒息死と圧死は死ぬまでの苦痛が前二者の方法よりも大きいようで、これが批判の対象になっているようです。

では、環境先進国ではどのような処分方法がとられているのでしょうか。
「動物の尊厳」が保障されているスイスでは、議会が雛をシュレッダーで殺処分することを禁止し、殺処分には二酸化炭素ガスを使用しなければならないと定めました。
また、「ティアハイム」という民間保護施設により、犬・猫の殺処分ゼロを実現しているとされるドイツもこの問題に取り組んでいます。
ドイツは雛が孵化する前に性別を判定する技術を開発し、実用化にも成功したようです。
(孵化前の殺処分でも苦痛がゼロになるわけではないようですが)
キャッチ&リリース ~死よりも残酷なこと~
皆さんは「釣り」をしたことがありますか。
私はしたことが無いのですが、「魚資源を保存する」という意味で釣った魚を水の中に戻す、「キャッチ&リリース」が良く行われているようです。
ただ、魚は釣られた時点で口の中に大きな針が刺さっています。
さらに、魚は針から逃れようとし暴れまわるため口の中の傷は更に深くなり、最悪の場合皮膚や筋肉、神経が裂けます。
そんな状態で水の中に戻されます。
治療などはもちろん行われず自然治癒を待つしかないのですが、傷の大きさが尋常ではないので、元の口の形に戻ることはなく、変形してしまうそうです。
変形の仕方にもよりますが、最悪の場合口を動かすことが出来ず自発的に摂食することが出来なくなり、そうなると口の中に餌が入ってくるのを待つしかありません。
いっそのこと殺してくれた方がマシなのではないかと思ってしまいます。

この問題について、日本では当然のごとく何の規制も敷かれていません。
(外来種の場合はリリースが禁止されていますが、これは生態系維持を目的としたものです)
では、海外ではどうでしょうか。
スイスでは、「キャッチ&リリース」は動物虐待に当たるとして基本的に禁止されています。
ただし、リリースした後もその魚が生き残れる見込みがある場合にはリリースが認められるなど一定の条件を満たせば、リリースが可能となります。
海外では罰則も厳しい

「人を殺してはいけません」
という法律を作ったところで、法を破ったことに対する「罰」を用意していなければ、誰も法律なんて守りませんよね。
日本の刑法によれば、殺人罪については
「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」
という罰が用意されているため、多くの人は殺人を犯しません。
(私は法律がなくても殺しませんから安心して下さいね^ ^)
動物愛護法に関しても、ルールを破った場合の罰が必要になってくるわけですが、諸外国はどのような法体制をとっているのでしょうか。
以下では、「幼齢個体を親から引き離す日齢」という分野に絞って各国の規制手法について見ていきます。
日本
動物が成長し切っていない段階で親から引き離すと、成長後噛み癖や吠え癖がつく可能性が高くなるため、これを防ぐための法律が用意されています。
しかし、日本では「生後何日間まで引き離してはならないのか」について具体的に定められていないため、実際にこのルールを守っている業者がどのくらいいるのかは不明です。
また、この法律に関して罰則は設けられていないので、法的効力は実質的には皆無と言えるでしょう。
イギリス
次に、「幼齢個体を親から引き離す日齢」という問題に関してイギリスがどのような法律を設けているのか見ます。
「犬の繁殖及び販売法」において、8週齢未満の犬を販売すると有罪になると定められています。
日本が具体的な数値を置いていないのとは対照的ですね。
また、違反者に対しては、3カ月未満の収監か2500ポンド(約30万円)未満の罰金、あるいはその両方が科せられます。
罰則が用意してあるという点でも、日本とは対照的です。
ドイツ
日本とイギリスは対照的であると分かったところで、先程も触れた環境先進国ドイツではどうなっているか見ていきましょう。
「犬の保護に関する命令」において、8週齢未満の子犬を母親から引き離してはならないと定めてあります。
イギリスの法律とは異なり、販売するしないに関わらず、飼育段階において8週齢未満で子犬を母親から引き離した時点で違法となります。
(イギリスの法律によれば、8週齢未満の子犬の販売は禁止されていますが、飼育は禁止されていません。)
また、罰則に関しては25000ユーロ(259万円)以下の過料が課されます。
イギリスよりも制限が厳しい上に、破った場合の罰則も重いとは・・・
さすがドイツといったところでしょうか。
動物愛護法|これはまずいかも・・・?

動物愛護法に関して、海外の方が規制が厳しいということを見てきましたが、以下では日本よりも規制が緩いのではないかと思われる事例について見ていこうと思います。
中国 ~犬食文化~
世界中で犬・猫などのペットを無下に扱わないようにしようという雰囲気がある中で、中国では「犬を食べる」という文化があるそうです。
犬というのは日本に限らずあらゆる国においてペットとして愛されている動物なので、この慣習については世界中から大バッシングを浴びているようです。
ただ、当の中国人(南部)からすると昔から犬は重要な食糧であったらしく、今更それを辞めるわけにいかないという事情も存在します。
これについては、日本の捕鯨が海外から批判されているのと同じような気がしますね。
中国の犬食やめさせましょう!
生きたまま焼く、油で揚げるなど
残酷すぎる!以下のキャンペーンに賛同をお願いします!「Xi Jingping: Stop China’s Yulin Festival」 https://t.co/rmbuJSNR9c @change_jpより
— 神保町フミコ@最高に楽しめる仕事を見つけるアドバイザー (@jinbochouranai) April 26, 2020
ベトナム ~熊の胆汁~
ベトナムでは、熊の胆汁に高い医療効果があると信じられており、胆汁は高い経済的価値を持ちます。
熊の胆汁は、熊の体に穴をあけ胆嚢までチューブをつなげることで採取することが出来ます。
この方法はあまりに非人道的であるとして政府が熊の胆汁の売買を禁止したのですが、実際には裏で胆汁の取引が続いています。
生産は行われていませんが、日本で輸入・販売されている象牙と同じようなものでしょうか。
https://twitter.com/animalsbecky/status/1324524277798850560?s=20
ネパール ~生贄祭り~
5年に一度ネパールにて、世界最大の生贄祭りが行われていることを皆さんはご存じでしょうか。
「生贄祭り」という物騒な名前に負けないほど、その実態は凄惨さを極めます。
「ガディマイ祭り」と呼ばれるその祭りはヒンドゥー教の一派によって支えられているもので、「血を神に捧げることで、その見返りとして良いことが起きる」という信条が根底にあります。
そのため、まず祭りに参加する信者たちは自分たちが所有する動物を会場に連れてきます。
そして、会場にいる200人ほどの殺処分係が各地から連れてこられた何万頭という数の動物を殺します。
対象となる動物には水牛やネズミなど様々な種類が存在しており、水牛は約5000頭ほど殺されると言われています。
「血を神に捧げる」の「血」はそもそも自分自身(人間)のものだったのですが、時を経るにつれて解釈も変わり、「動物の血」と捉えられるようになってしまったようですね・・・
世界最大のネパール生贄祭正気の沙汰とは思えないhttps://t.co/jVzFODxMmj
— yori (@sunx_yor) October 22, 2020
なぜ海外の方が取組みが進んでいるのか

海外では動物愛護法がどのような規制を敷いているのか見てきましたが、規制が厳しい国としてはドイツやスイスといったヨーロッパの国々が多いような気がしますよね。
逆に、日本を含めた東洋の国々では動物愛護に対する意識が低いということが見て取れます。
西洋にも東洋にも色々な国があるので、一概に「西洋の愛護精神>東洋の愛護精神」と言えるわけではないですが、一般的な傾向としてなぜ西洋に環境先進国と呼ばれる国が多いのでしょうか。
以下では、西洋と東洋(特に日本)の愛護精神の違いについて少し深堀したいと思います。
人と自然、自然と人
私達のモノの考え方というのはしばしば環境によって左右されます。
例えば、裕福な家庭に生まれて経済的に不自由なく育った場合、お金に対する感覚は比較的緩くります。
逆に、貧乏な家庭に生まれ育った場合、お金に対する感覚はよりシビアになると考えられます。
これは風土と人の思考にも当てはまります。
- 牧場型
- モンスーン型
- 砂漠型
人が自然に対してどのような価値観を持つのかに関して、上記3パターンあるのですが一つずつ見ていきましょう。
①牧場型
ヨーロッパは比較的穏やかな気候を持ちます。
そのため、昔の人たちも自然の驚異に晒されることなく悠々と農業や牧畜に勤しんできました。
その結果、ヨーロッパの人たちの中で「自然はコントロールできるもの」という価値観が醸成されていきました。
これが牧場型の自然観です。
「人>自然」と表せます。
②モンスーン型
日本含む東アジアの気候は変化が激しく、恵みをもたらす時(多雨による豊穣)もあれば、災い(豪雪や台風など)をもたらす時もあります。
自然は味方なのか敵なのかよくわからないという印象から、人々は自然を神格化し始めます。
結果、東アジアの人たちは「自然は畏れ多いもの」という認識を持つに至ります。
これがモンスーン型の自然観です。
「自然>人」と表せます。
③砂漠型
アフリカや中東の気候は厳しく、基本的に天候によってもたらされる恵みなどがありません。
更には、危険な野生動物なども生息しているので悠々と農業などをするのは難しいと言えます。
そのため、人々は「自然は敵」という観念を抱くようになります。
これが砂漠型の自然観です。
「自然=人」と表せます。
殺不殺
それぞれの持つ自然観がそれぞれの国の愛護精神に結びついている、と私は考えるわけですが、両者にはどのような関係性があるのでしょうか。
以下で見ていきましょう。
日本の場合 ~不殺生という足かせ~
「自然>人」の価値観を持つとされる日本人がなぜ動物愛護に対して意識が低いのかということになりますが、これは「自然>人」という価値観を持つからこそ、動物愛護への意識が高くならないと私は考えます。
つまり、モンスーン型である日本人は元々殺生を好まない「不殺生」という価値観を根底に持っています。
しかし、この「不殺生」という考え方が動物福祉においては足かせとなります。
というのも、例えばペットビジネスや卵産業では効率が優先されるので「殺処分を0にする」という目的は果たし難いです。
にもかかわらず、不殺生を是とする日本人の中で「動物愛護」というとその過程よりも結果、すなわち「殺処分0」に焦点がいってしまいます。
達成困難である「殺処分0」が声高に叫ばれるため、元々動物福祉に興味のない一般層の方々を活動に巻き込みにくいというのが、日本全体として意識が高まらない原因なのではないでしょうか。
皆さん殺処分ゼロ
絶対廃止にならないといけない動物達を恐怖の闇から救ってやろうね毎日怯えている子飼い主が迎えに来てくれると信じて待ってる子もう人間の犠牲で殺されてはいけない皆さん殺処分廃止の署名よろしくよろしくお願いします🙏🙇🙏🙇皆さんの協力が必要ですhttps://t.co/t55w3TwYlS pic.twitter.com/2f10yEAveY— 世界中の動物達が1日も早くhappy❤happyになりますように☀️❤️☀️❤️皆んなにハッピ〜💙 (@3ESyqirvrWb3A7Y) November 8, 2020
西洋の場合 ~結果ではなく過程~
「人>自然」という価値観の場合、自然をないがしろにしそうな気もしますが、実はその逆であると私は考えます。
彼らは「人の支配下に自然はある」と考えるので、当然ながら、日本の様に「不殺生」という考え方は存在しません。
そのため、ヨーロッパで「動物愛護」というと、「命が犠牲になること」は了承した上で、「命がどのようにして犠牲となるか」という過程に焦点を当てます。
過程というのは、「できるだけ苦痛が少ない死に方」や「ストレスフリーな飼育環境」などが該当します。
「殺処分0」とは異なり、そのような過程を目的として設定した場合、それは十分実現可能なものとなります。
そのため、元々動物福祉に興味のない一般層の人々も活動に巻き込みやすいという側面があり、これが西洋において国レベルで動物愛護政策が進んでいる理由なのではないでしょうか。
ヨーロッパ最大の動物愛護組織、ドイツ動物愛護協会に福島20Km圏内の動物の事情を知らせ、協力を求めたところ、早速ドイツ在住日本大使館に要請書を提出してくれました!
更にの協力も惜しまないと言ってくれているので、今相談中。— Kiyomi Kress (@KiyomiKress) April 29, 2011
動物愛護法|海外の規制は日本より厳しい?西洋に環境先進国が多い理由|まとめ

今回見た内容をまとめると以下のようになります。
- ヨーロッパ(主にドイツやスイス)の動物愛護法はさまざまな規制を敷いている
- 規制手法においても日本とヨーロッパでは大きな違いがある
- 東アジア(日本含む)では動物愛護法の整備が進んでいない
- 西洋と東洋で動物福祉のレベルが違う理由はそれぞれの自然観の違い
「不殺生」という考えは素晴らしいとは思いますが、資本主義経済の下では自分が生きるために他の命を犠牲にしなければならないのは致し方ないことです。
むしろ、効率を最優先すること自体はビジネスとしては健全とさえ言えます。
そのため、「殺されるかどうか」という結果ではなく「殺されるまで大切に扱われるか、そしてどのようにして殺されるか」という過程に着目して、国民の愛護精神を高めていくことが今我々にできる最善策なのかもしれませんね。
今回は動物愛護という大枠の中でペットビジネスについて軽く触れましたが、以下の記事ではペットショップの必要性について具体的に書いていますので興味のある方はチェックしてみてくださいね。
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